「心地」を分解する
デジタルプロダクトの価値を考えるとき、大きく分けて「機能的価値」と「情緒的価値」というふたつの側面がある。
機能的価値は、比較的ロジカルに考えやすい。ユーザーの課題を見つけて解決方法を考えていく。もちろん簡単なことではないけれど、ある程度は共通した基準で評価できるし、論理的に考えながら改善していくことができる。
一方で、情緒的価値はずっと難しい。「なんかいい」「好き」「ずっと使っていたい」と感じる理由は、そう簡単には説明できない。明確な正解があるわけでもなく、機能的価値のように共通の評価基準で判断するのは難しいように思う。けれど、だからこそデザイナーの感性や経験がとくに活きる領域でもあると思っている。
なぜ「心地」が大事なのか
私はこの情緒的価値を、「心地よさ」という感覚から考えてみたい。
似たような機能を持つプロダクトがふたつあったとき、人は何を基準にどちらを選ぶのだろう。機能や価格だけでなく、見た目の雰囲気や使っているときの感覚、そのブランドに対する親しみのようなものも、きっと判断に影響している。
ユーザーに長く愛されるプロダクトやブランドには、こうした情緒的価値が巧みに設計されているものが多いと感じる。「使いやすい」だけでなく「なんかいい」と思えることが、好きになってもらう理由になり、選ばれ、使い続けてもらうことにもつながっていく。
心地よいものをつくることには、ビジネスとしても意味がある。機能が似通ってきたときには、競合との違いを生み出す要素にもなるはずだ。
ただ、ビジネス上の意味を考える以前に、もっと単純な話でもあると思う。
Takramの田川欣哉さんが、デザインを食事に例えて、「食事は栄養を補給するだけでなく、おいしさも大事」という話をよくしている。
必要な栄養を効率よく摂取することだけを考えれば、食事のあり方はずいぶん違ったものになるだろう。でも、せっかく食べるならおいしいほうがいいし、食事の時間を楽しむこと自体が暮らしの豊かさにつながっている。
デジタルプロダクトも同じではないだろうか。目的を達成するための道具として便利なことはもちろん大事だけれど、毎日触れるものだからこそ、使っていて心地よいほうがうれしい。
心地よさをつくるもの
私はいま、心地よいインターフェースとは何なのか、このメディアを通して考えている。
「心地よさ」という言葉はずいぶん曖昧だ。人によって感じ方も違うし、プロダクトの性格によっても、ふさわしい心地よさは変わってくる。
そこで、心地よさを生み出す要素を、いくつかに分解して考えてみることにした。いまのところ、次の4つが自分なりの仮説だ。
1. 佇まい
色、文字、余白、形、質感など。見たとき、触れたときに感じるプロダクトの雰囲気。
人はプロダクトの機能を理解するよりも先に、見た目や質感から何らかの印象を受け取っている。たとえば、やわらかそうな見た目に親しみを感じることがある。そうした印象は、使い始める前から、そのプロダクトへの期待や親しみやすさに影響しているように思う。
以前、「デザインの重心」でも書いたように、文字の大きさや余白、色の組み合わせなど、ひとつひとつの要素は些細でも、そのバランスによって全体の印象は大きく変わる。「ツールの手触り」では、ChatGPTの比較的かっちりした見た目と、Claudeの暖色やセリフ体から感じるやわらかさについて書いた。
さらにデジタルプロダクトの場合は、画面の中だけでなく、動きや触覚、デバイスそのものの形や質感という要素もある。たとえばスマートグラスなら、どれだけ高度な機能があっても、日常で身につけるメガネとして自然に感じられるかどうかは大切なことだ。
見たとき、触れたときの感覚を合わせて、そのプロダクトらしい雰囲気を纏わせることが、佇まいのデザインなのだと思う。
2. 人格
言葉づかいや振る舞い。関わるなかでどんな個性や価値観が感じられるか。
同じ情報を伝えるにしても、言葉の選び方や声色、反応するタイミングによって、受け取る印象は変わってくる。エラーを伝える言葉にも、そのプロダクトらしさが表れる。そうした小さな振る舞いの積み重ねから、プロダクトにある種の人格を感じることがある。
「AIにも、いろいろあるらしい」では、声色や間、視線、少し予想を外れる振る舞いが、機械との関係にどのような影響を与えるのかを考えた。いつも完璧で予測どおりに応答することが、必ずしも魅力的とは限らない。振る舞いの理由がすべては分からないことで、かえって存在に奥行きを感じることもある。
AIが自律的にコミュニケーションを取るタイプのプロダクトでは、人格の設計はさらに重要になると思う。予測できない状況でも、判断のよりどころとなる価値観があれば、言葉や振る舞いに一貫性が生まれる。
すべてのプロダクトがウェットな人間らしさを持つ必要はない。親しみやすく話しかけてくれるものもあれば、必要なことだけを淡々と伝えてくれるものもある。そのプロダクトがどんな態度で人と関わるのかを考えたい。
3. 距離感
人の暮らしのなかで、プロダクトが存在を主張する度合いやタイミング。
便利な機能であっても、いつも積極的に働きかけてくることが心地よいとは限らない。必要な情報を先回りして教えてほしいときもあれば、何も言わずに待っていてほしいときもある。どのくらい近くにいて、どのタイミングで関わってくるのかによって、同じ機能でも印象は変わってくる。
「必要なときだけ、そばにいる」で書いたスマートグラスの体験は、この距離感を考えるきっかけになった。翻訳が必要なときだけ視界に情報が現れることで、目の前の人との会話や景色から意識を離さずに済む。情報がいつも注意の中心にある必要はなく、必要に応じて中心と周辺を行き来できることに、新しい心地よさを感じた。
積極的に助けてくれることがありがたいときもあれば、存在を忘れていられるくらいがちょうどよいときもある。人がそのプロダクトとどう過ごしたいのかによって、ちょうどよい距離は変わってくる。
テクノロジーが日常のなかに入り込むほど、人の注意や時間を求める度合いが、心地よさに関わってくるのではないかと思う。
4. 主導権
システムやAIに任せる範囲を、自分の意思で決められること。
AIにできることが増えるにつれて、これまで自分で操作していたことを、システムに任せられる場面が増えてきた。便利になる一方で、任せられることのなかにも、自分で判断したいことがある。
「操作しないインターフェース」では、AIが画面操作を代わりに進めてくれる未来について考えた。すべての操作を自分でする必要はなくなっても、何が起きているのかを必要なときに確認でき、大事なところでは自分で判断できる。その安心感があれば、作業を任せているあいだ、ほかのことに時間を使うことができる。
一方で、「速い時代に、ゆっくり考える」で書いたように、自分で手を動かすことが、考える過程そのものになっていることもある。結果が同じだとしても、そこに至るまで自分で試行錯誤することに意味がある場合もある。
任せていた作業を、必要なときには自分の手に戻せることも大事だと思う。自分でやりたいところまで任せなければならないとしたら、便利でも心地よくはない。人の意思で任せ方を変えられるかどうかも、心地よさを左右する要素なのかもしれない。
この4つは、必ずしも独立しているわけではない。たとえば、親しみやすい人格であっても、必要以上に話しかけてくると心地よくないかもしれない。積極的に手助けしてくれるAIも、自分で判断したいところまで先回りされると、少し窮屈に感じることがある。
それぞれに、こうすればよいという正解があるわけではない。目指したい「心地」によって、これらのバランスも変わるのだと思う。
この4つはあくまでも現時点での仮説であり、これで十分なのかも分からない。これまで感覚的に捉えてきたことを、これからも少しずつ言葉にしながら、実際につくる過程のなかで確かめていきたい。
