AIレトロ

2023年ごろ、AI生け花というものを嗜んでいた。

ちょうどMidjourneyをはじめとする画像生成AIが、一気に身近になりはじめたころだった。テキストを入力するだけで、それまで見たことのないようなイメージが次々と現れる。そのこと自体がまだ新鮮で、生成された画像を眺めているだけでも面白かった。

AI生け花とは、「AIを使用して実在する花や架空の花を自由なスタイルで生けること。現実にありそうでない空間や素材を組み合わせて花を楽しむことができる。(kana流)」と、勝手な定義をつくって楽しんでいた。

本物の植物ではありえない形をしていたり、花なのか葉なのかよく分からないものが混ざっていたりして、器と植物の境界も、ときどき曖昧になっていた。おそらく、当時のMidjourneyがまだ知らない花の名前などを、それっぽく曖昧に解釈した結果だろう。生成された生け花の多くは、夢のなかで曖昧な形になって現れたような感じだった。

当時つくったAI生け花は、いまもInstagramに残っている。久しぶりに見返してみると、なんだか味があっていい。最近の画像生成AIと比べれば細部の表現は粗い。よく見ると形がおかしかったり、質感が妙だったりする。でも、その少しローファイな感じが、いま見るとかえって魅力的に思える。

その後、新しい画像生成AIでも何度かAI生け花をつくってみた。けれど、出てくるのはどれも普通にきれいで、以前の画像にあったような違和感がほとんど無くなっている。花びらは精細で、光も自然で、器の質感も美しい。一枚の画像として見れば、新しくつくったもののほうが完成度は高いのだろう。

それなのに、なぜか以前ほど面白くならない。

2023年のAI生け花にあった、植物なのか何なのか分からない感じや、画像の奥に漂っていた妙な空気がなくなっていた。画像生成AIは、この数年で驚くほど表現力が向上したが、もしかするとその過程で失われた何かがあるのかもしれない。

これは、写真にも少し似ていそうだ。フィルム写真には独特の空気感や質感があるけれど、最近では、昔のコンパクトデジタルカメラで撮った写真や、古いiPhoneで撮った写真にも独特の魅力を感じてあえて使用する人が増えているという話も聞く。昔のデジタル写真は、解像度が低かったり、暗いところではノイズが出たり、色の出方が少し変だったりする。当時は単なる性能上の制約だったものが、時間が経つと「その時代らしい表現」に見えてくる。

そんなことを考えていたとき、2026年8月に発表されたGoogle Pixel 11のCamera Looksという機能を知った。

そのなかには、2000年代初頭の安価なデジタルカメラを参照した「Digi」というLookがあるそうだ。一般的なフィルターのように撮影後の画像へ加工を加えるのではなく、センサーから得た画像データの処理方法そのものを変える。写真の処理を、撮影の段階から少なくする仕組みらしい。

スマートフォンのカメラは、暗い場所を明るく写し、白飛びや手ぶれを抑え、誰が撮っても失敗しにくいものへと進化してきた。それはもちろん便利なことだ。でも、あらゆる写真がきれいに補正されるようになると、ときにはその均質化された表現から離れたくなる。最新のスマートフォンが、昔のデジカメを参照していることに少し興味をひかれた。

考えてみれば、画像生成AIのモデルにも、それぞれ癖がある。どんなものを美しいと判断して描くのか。文字をどんな筆致で描くのか。理解できないものがあったときにどんなふうに解釈しようとするのか。モデルの性能が上がれば、そうした癖は少しずつ目立たなくなっていくのかもしれない。けれど、その癖こそが、あとから振り返ったときに「あの頃のAIっぽさ」と呼ばれるものになっていく気がする。

写真の世界で、フィルムを選んだり、古いレンズを使ったり、昔のデジカメを持ち歩いたりするように、いつか生成AIでも「あえて古いモデルを使う」ということが起きたりするのだろうか。

最新モデルではなく、Midjourney V4のような古いモデルでつくる。解像度を上げすぎない。あのころ特有の、少し不穏で、曖昧で、夢のような画像をつくるために、古い生成モデルを選ぶ。そんな「AIレトロ」のような概念が生まれてきても面白い。

技術は、基本的には新しいもののほうが性能がいい。でも、表現の道具として考えると、新しいものが古いものを完全に置き換えるとは限らない。

AIの表現がどんどん小慣れていくなかで、そんな少し不器用だったころのAIを、懐かしく思う日が来るのかもしれない。